2023.2.13
私は再来月この土地を離れることにしている。
決めた理由のひとつとして、あの人と距離を置きたいからというのがある。
気持ちに陰りが生じ始めたわけではなく、このままではあの人のことを考えることに意識が費やされて、他の新しい人へ開かれる機会が失われてしまうのではという危機感からだ。
このことを本人に伝えようかずっと迷っている。
昨日本人に言おうか迷ったが、やめてよかったと思う。
言おうか悩んでいたけれど、次の瞬間「会いに行くね」とあの人が言ったときの笑顔を見て、言わなくてよかったと思った。
もし私が言ってしまえば、あの人は私に会いに行くことを取りやめるだろう。
私は言わないことにした。ずるい選択をした。
私があの人に伝えたいと思う要因を思うと、私がすっきりしたいからだよな。そのために相手を傷つけて誰がよい思いをするだろうか。
あの人へ言うことに嘘があるわけではない。
2023.2.10
卒研の学内展示を本格的に片付けた。
設営したときは無意識だったけれど、去年展示しようとして所と同じ場所だ。
片付けたときに、去年適当に剥がしていた暗幕やマステの残りまできちんと片付けた。
処理が雑なのが目について、当時の私は適当に引っ張り剥がすくらい追い込まれていたんだったっけか。
留年する前の、昨年度の卒研前日の深夜まで設営していたことを思い出す。
前日まで講評に間に合わせようと必死で準備していたけど、途中からもうやめることにしたんだ。留年するという選択は現役の頃はずっと頭にあって、最後の最後で留年に踏み切った。
褒められたことではないし、立派な理由もなかった。ただ、今のこの私の状態で大学を卒業したくないという気持ちと、卒業後の進路が決まっていない不安と、当時好きだった男の子に振り回されていた状況があった。
2022.2.4
端的に言って落ち込んでいる。
でも、悲劇のヒロインを自己演出して酔っているだけなのかもしれない。
最近の低気圧や寒い気候のせいにしておきたい。
今日あった要因と思われる出来事の1つとして、あの人が以前私からプレゼントされた手作りの品と同種類の品を、しかも、私以外の他の人からプレゼントされた方の品を、私が渡したものより大切に使っていることを知ったということがあった。
時間が経って、この出来事に私は思っているより傷ついていたらしいと感じ始めた。
その大切にされている品は私の手作り品とは違い、お店で購入された既製品で、実用性もあり、見た目も可愛い。
単純な話、そりゃあ可愛くて使いやすいものの方がより使われることになる。
加えて、彼は私が渡した品の方については
「確かに手が滑りやすいよね。」
とだけ言っていたことが余計心に残ったように思う。
自分が繊細すぎて我ながら面倒な奴だと思ってはいる。
人と深く関わる上で傷つくことは仕方のないことだと割り切ればいいのだろうか。
それにしても私ってこんなに傷つきやすかったよなあ、そういえば。
そして、脳内のとある冷静な自分はこう言ってくる。
「特に手作りの贈り物をするだなんて押しつけがましいことではあるし、自分自身の自己満足でやってるんだから。ショックを受けたとしてもそれも含めて自分の勝手だろ。」
「私自身、渡す段階で使いにくくて実用的ではないことに気づいていたし、それを予防線でも張るように相手にも伝えてただろ。」
そりゃそうなんです。
・・・
私の作品に彼が昔から興味を示さないことについてもつい突っ込んだ。
わかっていた気がするけど、やはり話すうちに感情がせり上がってきて彼の目の前でまた泣いてしまった。
泣きたくなかったな。
目の前の私が泣き出したらもう彼には慰めさせること出来なくしてしまう。
片方が泣いたらそれ以上対話ができない。
対話、書きながら思ったけど、そもそも対話することの重要度とはどんなものだったっけ。
一方的に彼を責めるような物言いをしてしまったのだが、私だって彼に対して同じようなことをしていると思う。
だけど、彼はそのことを私に指摘することはない。
そう私が言うと、
「そういうものだよね。」
とだけ返ってきた彼の言葉にまた涙が誘発された。彼を困らせたと思う。
こんなときに、例えば「傷ついた」なんて言葉を相手にそのまま伝えたくはない。
私が傷ついた、と伝えれば、相手は少なくとも私の関係する所において、出来ないこと、言えないことを増やしてしまうと思うから。
つまり、私を前にした彼をどんどん不自由にしてしまう。
それに、私は確かに傷ついているとは思うけれど、文章にしているともっと実際に感じていたものに近い表現があるように感じて、傷つく、という言葉を使うのをなるべく避けていたのだとも思う。
そういえば昔、元恋人に「傷ついた」と伝えたときに「君は言葉の表現が雑、荒い。」と言われたことを思い出した。
これに影響を受けている気がする。マジで腹が立つ。
今日読んだ本にあった「全ての言葉は比喩」という文句のことを考えた。
2023.2.3
久しぶりにご近所に住む先輩に会いに行ったらお味噌汁やメロンパン、せとかまで頂いた。教えてもらった麹屋さんにも今度行ってみよう。
大学時代最後となる授業を午前中に呆気なく終える。遠隔授業で自宅から受けた。
午後、先輩と電話で繋いだ友達と、3人で色々な話をした。みんな作ることについて考えている人たち。「こういう話はもっとした方がいい。久しぶりにこんな話をした。」と先輩が言った。私も同意した。
私の作ったものを熱心に見て考えてくれる2人。みんな私にとっても優しかった。
一方で、この間彼に作品を見せたときの反応と比較してしまう。彼は私に、あるいは私の作品への興味の持ち方がわからないのだろうか。何かを解釈して、言葉にしなければならないと思っているのだろうか。
なんだか文章にすると自分が傲慢な気もしてきた。
最近の寒波で気分がやや沈みがちなのかもしれない。