2022.2.4

端的に言って落ち込んでいる。

でも、悲劇のヒロインを自己演出して酔っているだけなのかもしれない。

 

最近の低気圧や寒い気候のせいにしておきたい。

 

今日あった要因と思われる出来事の1つとして、あの人が以前私からプレゼントされた手作りの品と同種類の品を、しかも、私以外の他の人からプレゼントされた方の品を、私が渡したものより大切に使っていることを知ったということがあった。

 

時間が経って、この出来事に私は思っているより傷ついていたらしいと感じ始めた。

 

その大切にされている品は私の手作り品とは違い、お店で購入された既製品で、実用性もあり、見た目も可愛い。

 

単純な話、そりゃあ可愛くて使いやすいものの方がより使われることになる。

 

加えて、彼は私が渡した品の方については

「確かに手が滑りやすいよね。」

とだけ言っていたことが余計心に残ったように思う。

 

自分が繊細すぎて我ながら面倒な奴だと思ってはいる。

 

人と深く関わる上で傷つくことは仕方のないことだと割り切ればいいのだろうか。

それにしても私ってこんなに傷つきやすかったよなあ、そういえば。

 

そして、脳内のとある冷静な自分はこう言ってくる。

 

「特に手作りの贈り物をするだなんて押しつけがましいことではあるし、自分自身の自己満足でやってるんだから。ショックを受けたとしてもそれも含めて自分の勝手だろ。」

 

「私自身、渡す段階で使いにくくて実用的ではないことに気づいていたし、それを予防線でも張るように相手にも伝えてただろ。」

 

そりゃそうなんです。

 

・・・

 

私の作品に彼が昔から興味を示さないことについてもつい突っ込んだ。

 

わかっていた気がするけど、やはり話すうちに感情がせり上がってきて彼の目の前でまた泣いてしまった。

 

泣きたくなかったな。

目の前の私が泣き出したらもう彼には慰めさせること出来なくしてしまう。

 

片方が泣いたらそれ以上対話ができない。

対話、書きながら思ったけど、そもそも対話することの重要度とはどんなものだったっけ。

 

一方的に彼を責めるような物言いをしてしまったのだが、私だって彼に対して同じようなことをしていると思う。

だけど、彼はそのことを私に指摘することはない。

 

そう私が言うと、

「そういうものだよね。」

とだけ返ってきた彼の言葉にまた涙が誘発された。彼を困らせたと思う。

 

こんなときに、例えば「傷ついた」なんて言葉を相手にそのまま伝えたくはない。

私が傷ついた、と伝えれば、相手は少なくとも私の関係する所において、出来ないこと、言えないことを増やしてしまうと思うから。

 

つまり、私を前にした彼をどんどん不自由にしてしまう。

 

それに、私は確かに傷ついているとは思うけれど、文章にしているともっと実際に感じていたものに近い表現があるように感じて、傷つく、という言葉を使うのをなるべく避けていたのだとも思う。

 

そういえば昔、元恋人に「傷ついた」と伝えたときに「君は言葉の表現が雑、荒い。」と言われたことを思い出した。

これに影響を受けている気がする。マジで腹が立つ。

 

今日読んだ本にあった「全ての言葉は比喩」という文句のことを考えた。